個展 201号室、傍らの些事
2019.03.18-.06.28
北海道文化財団アートスペース企画展vol.39
大丸藤井セントラル 7階スカイホール 個展
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葛西由香展に寄せて
たとえば、蛇口に吊された紅茶のティーバッグ。二番煎じの出番を待ちながら、すっか
り冷えきってしまった様子。けれども、糸でしっかりと結わえられたその姿は、どこか大
切なお守りのようにもみえてくる。
これと対をなすのは、お湯にとっぷり浸かったもうひとつのティーバッグ。それぞれ《湯
冷》、《長湯》と題されたように、紅茶をめぐるひとこまを湯浴みの情景に見立てて描い
た日本画作品だ。
今日、「日本画」といえば、ヨーロッパ伝来の油彩画に対し、日本の伝統的な画材や技
法、様式による絵画を示す。「日本画」というこの言葉が用いられるようになったのは明
治以降。すなわちそこには画材や技法、様式の違いをただ区別して呼ぶ以上の何か――つ
まり、西洋を受け入れなければならなかった近代日本の複雑な自己肯定感情や自負の念が
含まれているように感じられるのだ。
たしかに、葛西由香の作品には「日本画」の画材が用いられている。写生に基づき、対
象の生きた感じを写しとる描写、意表をついた着想により面、線、点の造形的な面白さを
引き出す構図、そして見立ての手法といった、彼女の作品の魅力を支える諸要素も、日本
古来の絵画から学んだものといえる。
しかし彼女の作品世界は、「日本画」という言葉が帯びる情念のようなものとは無縁の、
からりとして明るく、飄々として軽やかな、おかしみの息吹に満たされている。それは、
ちいさく、ささやかな物事に対する思い入れの強さや、森羅万象に魂の存在をみとめるア
ニミズムへの共感、そして知的な愉しみや趣きを求める思考や連想力といった、彼女の志
向を反映したものだ。
それはまた、「日本画」という概念が生まれるよりも遥か昔から、日本人が大切にして
きた美意識や信仰と通じるものでもあるだろう。彼女の作品を「日本画」という枠組みに
押し込めることに対して、私が違和感を覚えるのはこうした理由によるのかもしれない。
日常のひとこまを描く一方、身近な題材からふくらんだ絵そらごとも、ときに姿を垣間
みせる。あえて創作した情景を描いた作品もあり、ままごと遊びを写生した日記のように
も思えてくる。
あらゆるものに八百万の神の存在をみいだす彼女にとって、それが現実か空想か、それ
とも遊びだったのかという区別はもはやどうでもいいのかもしれない。彼女の眼差しと絵
筆によって、たしかな姿かたちを与えられた軽やかなおかしみが、201号室での日々をひと
つに包み込むだろう。
(藤原乃里子/北海道立釧路芸術館 学芸員)
会場・企画:大丸藤井セントラル 7Fスカイホール/2019年 会場に掲示したテキストより掲載
出展作品